Anti-Moral Harassment Project

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いじめとは

森田 洋司先生が書かれた名著、『いじめとは何か―教室の問題、社会の問題』 (中公新書)には、こんなことが書いてありました。
私たちが主催する、10月20日開催のモラル・ハラスメント被害をなくすための講演会に参加される方は、事前にお読みいただけると良いと思います。



・いじめは昔からあり、どこにでもある、人として生を受ければ引き受けなければならない業なのか、子供に、許せない行為だと教え教師にも毅然とした対応を求めるのは理想でしかないのか?

・誰にも軽い意地悪をしたり、揶揄して快感を得たり、苛立ちで語気を強めて相手を傷つけたり、鬱積した感情を人にぶつけたりした覚えがあるが、同時に感情や衝動をコントロールすることで、そうした行動を抑制できることも経験している。

・業を発現させるか抑止するかは家庭、学校、社会にわたる広い意味での教育の対応働きかけ次第。認識次第。

・いじめが起きても止まりやすい国
、止まりにくい国がある、人間存在につきまとう業と決めつけあきらめてはいけない。

・個人の心に歯止めを埋め込みするだけでは駄目。

・80年代の日本はいじめパニックに。身内や知り合いが巻き込まれていないか不安が高まり、対策が取られた。
それは、被害の早期発見と相談、傷ついた人の心理的安定とサポート、加害者を含めた周囲の子供たちとの関係調整など。

・欧米の傾向
欧米社会の学校教育が、市民性の育成に力を入れている。監視型、取り締まり型を強化しても限界があるため。

・日本は被害者を移動させるが欧米は逆。日本はいまだに加害者の行為責任を明確にし、その責任を常に問う仕組みが発達していないため、加害性を問うことに甘くならざるを得ない。

・加害者の責任を問うのはただちに処分や懲戒ということだけではなく、集団の中で義務付けられている行為や望ましいとされている行為を遂行する責任について自覚させること、行為の結果を予期させること、結果責任の存在と責任の取り方を自覚させるなど、一連の責任が含まれ、処分や懲戒は責任の取り方のひとつのタイプに過ぎない。

・加害者本人だけでなく、周囲の人も含めて発生責任を明らかにする必要がある。

・いじめに対処するためのトレーニングを子供に提供し、周囲からの支援が迅速に発動されるようにしなければならない。自己主張のトレーニング、対処能力を培う、教師のスーパーバイズのもと、上級生による相談体制の構築など。

・日本は1980半ばに社会問題としていじめ問題に懸命に取り組んだが、そのことが海外の動向に目を向ける妨げにもなった。

・受験戦争や管理主義教育と体罰や横並び志向、島国根性、違いを排除する国民性など日本的特徴を過度に強調した原因論が取り沙汰された。
その後、行き過ぎた心理主義により心のビジネス化が顕著に。状況の中で生じる生きにくさ、息苦しさを個々の心の問題へと封じ込めてはいけない、と、心理主義批判が起きた。

・その後、90年代半ばに、加害責任という視点の弱さや加害者指導を放置していた反省、傍観者も加害者という認識が教育再生会議に盛り込まれたが、具体的な取り組みに欠けた。

・シティズンシップの育成
アメリカやイギリスではピア・カウンセリング手法が用いられている。子供たちが自主的に活動し支え合う仲間を作ることで学校の雰囲気をまとまりあるものに帰ることを目的とした幅広い活動。いじめだけでなく、障害、学習の遅れ、戦争難民など。
シティズンシップ教育の一環として有意義で優れた学習教材になっている。

・欧米では、心づくりから社会づくりへと対策をシフトさせるもの、つまり個人の内面に歯止めを作るのではなく、集団の中に歯止めを埋め込もうとする試みがなされている。

・学校だけでなく生活総体の中で問題を捉えようとする転換が起こった。社会的な広がりの中で解決しようとする流れである。スクールソーシャルワーカーの導入や学校と関係機関との行動連携が始まった。

・チームで子供をサポートする仕組み作りが必要。子供たちを社会の参画主体としての成長を支援するシステムづくりが大切。


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by a-mh-project | 2013-10-04 21:48