Anti-Moral Harassment Project

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モラル・ハラスメントを知るために読む本




僕らがモラル・ハラスメントという言葉を知ったのは2007年頃でしたが、その頃と比べたらモラル・ハラスメントについて書かれた本が随分増えました。
被害に遭っている方や支援をされている方が手に取って下さると良いのでは、と思う本を選んで書き出してみます。






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わかりやすくて、そして現実的な対処法が書いてある本を求める方には、下記の三冊をおすすめします。
これらは、書店はもちろん図書館に置いてあることも多いため、比較的入手しやすいです。


*カウンセラーが語るモラルハラスメント / 谷本恵美

*家庭モラル・ハラスメント / 熊谷早智子

*「モラル・ハラスメント」のすべて 夫の支配から逃れるための実践ガイド / 本田りえ 露木肇子 熊谷早智子






次の本は、上の三冊と比べると発行数が少ないようですが被害に遭われた方がご自身のブログに書いていたことをまとめた本なので、今でも元の原稿をインターネットで読むことができます。


*夫からのモラル・ハラスメント: 愛する人からの精神的イジメ 苦しいのはあなた一人じゃない / まっち~






続いて、モラル・ハラスメントを研究しているフランスの医師が書いた本を。
モラル・ハラスメント(LE HARCELEMENT MORAL)という言葉はこの本が発信源です。1998年に発行されて以来、世界中で読まれています。


*モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする / マリー・フランス・イルゴイエンヌ(翻訳:高野優

*モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない / マリー・フランス・イルゴイエンヌ(翻訳:高野優)


上の本が続編、下の本が一冊目です。初めて読むのなら続編から読んだ方が理解しやすいです。支援者の方がまず読む場合でも続編の方が適しています。
訳が大変わかりやすいので良い本なのですが、事例が海外での話だからどうしても馴染めない、なかなか読み進められない、という人もいるかもしれません。その場合は無理をしなくて良いと思います。上の日本の著者が書いた四冊の本に、この本のエッセンスは書かれていると思いますので。






加害者側の心理と更生についても詳しく言及している本はこれらです。
発達過程において虐待の被害者となってしまっていた人が成長して、今度は虐待の加害者になってしまうケースがある、いわゆる虐待の連鎖について知ることができます。
その結果、専門家ではない被害者や被害者を支援する人たちが、加害者の加害行為を止めたり、加害者を更生させることはなぜ困難なのかがよくわかります。


*傷つく人、傷つける人 / 信田さよ子

*加害者は変われるか? - DVと虐待をみつめながら / 信田さよ子

*加害者臨床の可能性 DV・虐待・性暴力被害者に責任をとるために / A・ジェンキンス (翻訳:信田さよ子 高野嘉之)

*カウンセリングで何ができるか / 信田さよ子

*子は親を救うために「心の病」になる / 高橋和巳

*機能不全家族―「親」になりきれない親たち / 西尾和美

*アダルトチルドレンと癒し 本当の自分を取り戻す / 西尾和美






海外の著書が書いた本はこちら。様々な事例を知ることができます。


*良心をもたない人たち / マーサ・スタウト

*こころの暴力 夫婦という密室で 支配されないための11章 / イザベル・ナザル=アガ

*あなたの心を操る隣人たち 忍びよる「マニュピレーター」の見分け方、対処法 / ジョージ・サイモン

*あなたは変われる 言葉や態度に傷つけられた心を救う本 / グレゴリー・L・ジャンツ 






そして最後に、差別、いじめ、ハラスメント、虐待の根源となる衝動とどう折り合いをつけるかということを深く考える際に読むべきではないかと思う本を。


*差別感情の哲学 / 中島義道

*いじめのない教室をつくろう / 小森美登里

*いじめとは何か 教室の問題、社会の問題 / 森田洋司

*人はなぜ怒るのか / 藤井雅子






この他にもおすすめの本はありますが、内容の一部に何かしらの問題がある本などは今回は省きました。

また、他人が書いた本をささっと読んで上っ面だけをなぞって書かれたとても薄っぺらい内容の本や、専門家が間違った見解を書いている危険な本も省きました。
それらは時間がもったいないので読むべきではない本ですよ、と紹介したいぐらいなのですが、それも時間の無駄なので今回はやめておきましょう。
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# by a-mh-project | 2015-01-27 21:08 | モラル・ハラスメント

モラル・ハラスメントの加害者を第三者はなぜ擁護してしまうのか

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Illustrated by mina.

芸能人の離婚訴訟に端を発してテレビなどでモラル・ハラスメントが取り上げられはじめました。
しかし、モラル・ハラスメントは学習せずにすぐに理解できるハラスメントではないので、しばらくは少々誤解されたまま広まることと思います。
モラル・ハラスメントという卑劣な虐待が多くのメディアを通じて白日のもとに晒され、その概念が大勢の日本人に知られるようになるには仕方のないことかもしれませんが、回り道は極力避けたいものです。

さきほどテレビで人気の帯番組を見ていましたが、モラル・ハラスメントの本質を視聴者にうまく伝えられていませんでした。
ハラスメント対策後進国の日本では致し方ないことですが、テレビの放送局にも詳しい人が沢山いるはずなので、番組を作る人はそういう人たちとよく話し、内容をよく練ってから放送してもらえたら、と切に願います。
なぜならば、モラル・ハラスメントは世代を超えて連鎖するとても根の深い虐待だからです。
(連鎖については後述します。)



加害者を擁護してしまう第三者が現れて被害者を責めてしまい、被害をより深刻化させてしまうのはモラル・ハラスメントの特徴として知られています。
モラル・ハラスメントについて知識を持たない第三者は、加害者の演技に容易に騙されます。
なぜなら加害者は世間に対して好人物を演じていることが多いからです。
加害者は24時間、365日、良い人であろうとしています。
毎日そればかり、考えています。
それは人としての自然な振る舞いではなく、偽装です。
良心を持たない彼らは良心を持っているフリをしているのです。
成長期に、人と人の相互作用について間違った学習をしてしまった結果、そうなります。
間違った学習をせざるを得ない環境の最もわかりやすい例は、児童虐待が行われている家庭です。
親から虐待され続けるのは異常な状況ですが、その親のもとで生きていくためにはその状況を子供なりに辻褄が合うように解釈しなければなりません。
その結果、とにかく親を怒らせないこと、親の機嫌を損ねないことを第一に考えて行動する子供に育ちます。
そして、良心について理解ができない子供に育ちます。
良心を理解することは、虐待を繰り返す自身の親を否定することにつながります。
虐待されている子供は、生活力が無い自分が親を拒絶することは己の生命の危機につながるということを本能で知っているのです。たとえ日常的に頻繁に、死につながるほどの虐待されていたとしても、です。

虐待されている子供は健気にひたすら思考を繰り返し、虐待されることと愛されていることの間に良い意味を見出そう、辻褄を合わせよう、とします。
自分を愛しているから厳しくするのだ、とか、自分が駄目だからこんなに怒らせてしまうのだ、と考えて耐えるのですが、極端な例では、どの家庭でも実は自分と同じ教育=実は虐待が行われているのだ、と考えてしまうようです。
親から傷つけられても耐える、という幼少期を経て、次第に家庭以外の世界と触れ合う機会が増えると、自分の親の異常さに気づく人がほとんどですが、まれに、歪んだ価値観のまま大人になる人がいます。

例えば、歪んだ価値観を持ったまま大人になった夫は自分の妻にも自分の幼少期のように辛い目に遭ったら耐え忍ぶべきだ、と実は考えています。


よくあるパターンをひとつ。
モラル・ハラスメントの加害者が夫で、被害者が妻である場合。

好青年を装い、好みの女性に熱いラブコールを送り続けて求婚し、妻として迎えいれてしばらくは、妻の前でも良い夫を演じ続けますが、本性を隠して社会生活を送っているストレスはどんどん蓄積されます。

そのはけ口を夫は常に探していますが、良い人であらねばならないのでそういう機会はなかなかありません。



しかしその日は、突然やってきます。

夫は気づきました。
妻には何をしても良いのだ、と。

最初は、指摘や指導、教育という形で。
妻が、自分が子供のときのように従順にひたすら耐えようとしないことに夫が気づいて首をひねったとき、夫にとって妻の価値は一気に下がり、妻は人では無いただのモノと化し、心的虐待が始まります。
心的虐待が止むとき、隠されるときは、第三者がいるときのみです。
最初の頃は、普段とは打って変って人前では良く出来た妻だと褒めますが、妻が反旗を翻し始めたり心的虐待がマンネリ化し変化が欲しくなると、次第に友人や肉親など近い人には、愚妻で苦労している、と言い出します。
その際の被害者ぶりは天才的な役者のようだと言われますから、第三者が騙されるのは致し方ないかもしれません。
この天才的な役者ぶりには、当初は被害者である妻でさえ騙されます。
酷い目にあっても夫に抗議したり、知り合いや肉親に相談したり、家を飛び出したりなかなかできないのは、夫への恐怖心に加えてどこかで夫を信じなければいけない、と思うように巧妙な演技で心を操られているからです。

心的虐待を繰り返すうちに夫は次第に妻のことを、自身の世間からの評価を高めるために利用する道具である、としか考えられなくなります。
それはもしかしたら、親に虐待されながらも必死に耐えていた幼い頃の自分を肯定するための唯一の道具、なのかもしれません。

加害者は周りに本性が知れてしまうことを恐れます。ゆえに心的虐待が第三者にばれたときのことまで計算に入れて、夫は虐待を繰り返します。
それだけではありません。ばれないように虐待する方法を思案すること自体をいつしか楽しみ始めます。

他人が後から聞けば、どちらにもとれるような言動、態度で妻を精神的に虐待しておくのですが、その悪しきテクニックは妻の精神をズタズタにし、奴隷のようにコントロールすることを容易にし、逃げる気力さえ奪うのにも使われます。
例えば正解があってないような事柄において、妻にどちらかを選ぶように言葉や態度で強要し、妻が選ばなかった方を正解にしてなじったり、冷たい態度で無視したり。


そんなことは人に頼らず自分で考えろ、

と言われてそうしたら、

どうして勝手にそういうことをしてしまうのだ、

と責め、次にならばこれはあらかじめ相談をしせねば、と夫に恐る恐る話しかけたら、

やっぱりお前は駄目だ、一度叱られたぐらいで人に甘えて、

と軽蔑した態度を取られる。

よく知らない人からではありません。
愛して尊敬していた人物から、ある日を境にこんな行為を毎日繰り返し行われたら、心が乱れます。
一つ一つの攻撃は、大変小さな吹き矢が刺さった程度のものかもしれませんが、それが長い年月に渡れば妻の身体は吹き矢の矢だらけになり、ハリネズミのようになってしまうでしょう。
しかし世間の夫に対する評価は相変わらず良いままです。
むしろ妻を虐待してからの方がいきいきしていたりします。


難解なパズルのような心的虐待、と一つ前の記事に書いたわけ、わかっていただけるでしょうか?


モラル・ハラスメントは周りの人に知られないよう、親しい関係性を利用して繰り返し行われる大変恐ろしい心的虐待ですが、加害者が瞬時にそんなことを考えて実行できるのは、幼少期にそういう目に自分が遭ってきたらからです。

誤解をしていただきたくないのは、虐待を受けていた人がみな、モラル・ハラスメントの加害者になるわけではありません。
むしろほとんどの人が自身の不幸な生育歴の異常さに気づき、連鎖を断とうと苦しみ、努力をされています。
しかし、気づけずそのまま大人になる人もたくさんいるのです。


こうした知識を持っていても、実際にモラル・ハラスメントの被害に遭ったり被害に遭った人と話すまではそんな人格を持つ人が周りにいるなんて、にわかに信じられないと思いますが、肉親やご友人、お知り合いから似たような話を聞いたときは、過去のご自身の経験や常識で判断せず、先入観を捨てて、とにかく慎重に対応してください。
第三者が被害者を苦しめるケースは大変多いです。

なお、生育歴の異常さに気づける機会が日本は少ないと言われています。
欧米では加害者が更正するためのカウンセリングプログラムが開発されており、一般人がそうした情報を目にする機会がふんだんにあるからです。
日本では、加害者が自身の異常さに気づいても相談したり治療する場所がなかなか見つからないそうです。
日本では医師でさえ、モラル・ハラスメントのことをよく知らないのですから。
専門家のレヴェルアップを切に願います。


とはいえ、この十数年で次第に日本人のカウンセラーの方や医師が書いた良書が読めるようになりました。
悩んでいる方は手にとってください。
最近はそうした良い本が、図書館にも置かれていることが増えました。




追記
子を虐待する親は、親から虐待された子であるかもしれない、という悲しい連鎖についても、どうか心に留めておいてください。
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# by a-mh-project | 2015-01-26 21:47 | モラル・ハラスメント

子は親を救うために「心の病」になる

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子は親を救うために「心の病」になる



たいへんインパクトのあるタイトルですよね。
でもそれは、事実なのです。

東京千代田麹町の風の木クリニック院長 高橋和巳氏(精神科医)が書いた本です。
たいへんわかりやすい文章で書かれていますが、内容はとても深く、読む価値のある本です。

ハラスメント、いじめ、虐待の抑止に関心がある方は、ぜひ読んでみてください。



僕らが来月豊田市の足助地区にて開催する一般市民対象の学習会でも、この本を取り上げます。
以下は、そのご案内です。

*******************

現代の日本は、心的虐待が世代を超えて連鎖して巷に溢れており、大変深刻な状態だと思います。
さらにそこに、家庭、学校、会社、コミュニティーなどの人が集まる場の風通しの悪さが加わると、虐待は爆発的に増えてしまいますし、抑止する力もなかなか生まれにくくなります。
それは山里でも例外ではありません。

来月、学習会を下記の要領で集います。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
またこの情報をご関心を持つお知り合い、お友達にシェアしていただけると幸いです。

【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考える集い】
第一回テーマ「難解なパズルのような心的虐待=モラル・ハラスメントとはなにか」

○日時
2014年11月1日(土)13:30~15:00
(開場/受付13:00より)

○場所
足助病院 南棟講義室
愛知県豊田市岩神町仲田20番地

○主催
山里センチメンツ (代表 安藤 順 )

○協力
三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会(会長 足助病院長 早川富博氏)

○内容
*集いの趣旨説明
*近年のいじめを取り巻く状況についてのはなし
*いじめとハラスメントに関するアンケート記入タイム
*モラル・ハラスメントとは何かについてのはなし
*クエスチョンタイム、フリーディスカッションタイム
*まとめタイム
※司会、進行は山里センチメンツのスタッフが務めます。

○参加費
配布資料代としてお一人100円(小学生、中学生、高校生は無料)

○お申し込み、お問い合わせ先
ご参加にあたりお住いの地域、年齢などの制限は一切ありません。
下記のいずれかの連絡先を通じてお申し込みください。
(人数とお名前を教えてください。)

Eメール
anti.moral.harassment.project@gmail.com

※当日お席に余裕があれば、事前申し込み無しで参加を希望される方も受け付けます。

※フライヤー(チラシ)の現物は足助病院玄関ホールに設置してあります。
※関連ブログ
http://yamazatosentiments.boo-log.com/e283927.html
http://hyakuyobako.boo-log.com/e284906.html
http://antimoralharassmentproject.boo-log.com
http://chu3annetworksg.boo-log.com
http://nordicwalkingmovement.boo-log.com

























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# by a-mh-project | 2014-10-25 20:55 | モラル・ハラスメント

【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考える集い】

11月のはじめに下記の要領で集います。

お近くにお住まいの方でご関心のある方はぜひご参加ください。

またこの情報をご関心を持つお知り合い、お友達にシェアしていただけると幸いです。



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Illustrated by mina.





【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考える集い】
第一回テーマ「難解なパズルのような心的虐待=モラル・ハラスメントとはなにか」



○日時
2014年11月1日(土)13:30~15:00
(開場/受付13:00より)







○場所
足助病院 南棟講義室

愛知県豊田市岩神町仲田20番地




○主催
山里センチメンツ



○協力
三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会







○内容


*集いの趣旨説明
*近年のいじめを取り巻く状況についてのはなし
*いじめとハラスメントに関するアンケート記入タイム
*モラル・ハラスメントとは何かについてのはなし
*クエスチョンタイム、フリーディスカッションタイム
*まとめタイム
※司会、進行は山里センチメンツのスタッフが務めます。






○参加費


配布資料代としてお一人100円(小学生、中学生、高校生は無料)







○お申し込み、お問い合わせ先

ご参加にあたりお住いの地域、年齢などの制限は一切ありません。
下記のいずれかの連絡先を通じてお申し込みください。
(人数とお名前を教えてください。)




Eメール
anti.moral.harassment.project@gmail.com


または


yamazatosentiments@gmail.com






※当日お席に余裕があれば、事前申し込み無しで参加を希望される方も受け付けます。

(なお当日は香嵐渓ライトアップ の初日にあたります。

紅葉の盛りは11月中旬以降ですが、大勢の人で混み合うシーズンを迎える前の香嵐渓をミーティング後にゆっくりと散策されるのも良いかと思います。)
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# by a-mh-project | 2014-10-12 22:50

差別感情の哲学

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今回は本の紹介です。



自身の中に湧いてしまった悪意を処理しきれず、いじめ、ハラスメント、虐待をすることに至らないように、またはいじめ、ハラスメント、虐待をする人に加担してしまうことのないように、僕らは常に学習しトレーニングを積まなければならないと感じます。


こちらは、そんなことを考えるときに、読むと良いかもしれない本。

差別感情の哲学 / 中島義道 (講談社)
※序章より抜粋

『〜前略〜

あらゆる悪意とその発露が根絶された理想社会を掲げて現状を嘆くのではなく、自他の心に住まう悪意と戦い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御すること、こうした努力のうちにこそ生きる価値を見つけるべきなのだ。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない。誤解を恐れずに言えば、悪意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の価値を決めるのである。

〜中略〜

自分のうちに潜む攻撃心を圧殺してはならないということは、それを容認することではなく、ましてそれをそのまま肯定することではない。われわれは、むしろ差別感情に伴う攻撃心や悪意を保持したまま、自己を正当化することが多い。ここに、剥き出しの攻撃心や悪意よりはるかに悪質な、巧妙に隠された攻撃心が育っていく。ここには、差別をしているのではないと言いながら紛れもない差別をしているという狡さが悪臭を放っている。
 人間は様々な場面で狡いが、差別問題はこれが露出する場面である。そのうち最たるものは、「区別があるのであって差別ではない」という主張であろう。これは、必ず差別をしている側から発せられる。
差別感情の哲学 / 中島義道 (講談社)
※序章より抜粋

『〜前略〜

あらゆる悪意とその発露が根絶された理想社会を掲げて現状を嘆くのではなく、自他の心に住まう悪意と戦い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御すること、こうした努力のうちにこそ生きる価値を見つけるべきなのだ。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない。誤解を恐れずに言えば、悪意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の価値を決めるのである。

〜中略〜

自分のうちに潜む攻撃心を圧殺してはならないということは、それを容認することではなく、ましてそれをそのまま肯定することではない。われわれは、むしろ差別感情に伴う攻撃心や悪意を保持したまま、自己を正当化することが多い。ここに、剥き出しの攻撃心や悪意よりはるかに悪質な、巧妙に隠された攻撃心が育っていく。ここには、差別をしているのではないと言いながら紛れもない差別をしているという狡さが悪臭を放っている。
 人間は様々な場面で狡いが、差別問題はこれが露出する場面である。そのうち最たるものは、「区別があるのであって差別ではない」という主張であろう。これは、必ず差別をしている側から発せられる。

〜中略〜

差別問題において、「これは、差別ではなく区別だ」と言い張る人は、「自然である」という言葉を因習的・非反省的に使いたくてうずうずしているからである。それは男として自然だ、女として不自然だ、中学生として自然だ、日本人として不自然だ、・・・・・というように。彼はこうした反省を加えない「自然である」という言葉に行き着くことによって、すべての議論を終わらせようとする怠惰な「自然主義者」なのである。
彼は、そこに潜む問題をあらためて見直すことを拒否し、思考を停止させる人である。「結婚するのはあたりまえ、女が子供を産むのは自然」という結論をいつも手にしており、その鈍い刀ですべてをなぎ倒すのだ。

ある人が、差別用語におけるコンテクストにおいて「あたりまえ」「当然」「自然」という言葉を使用したら用心しなければならない。差別感情の考察において、「子供が学校に行くのはあたりまえ、大人の男が働くのは当然」と真顔で語る人こそ、差別問題を真剣に考えている人にとって最も手ごわい敵である。なぜなら、彼らはまったく自らの脳髄で思考しないで、ただ世間を支配する空気に合わせてマイノリティー(少数派)を裁いているのだから。しかも、そのことに気づかず、気づこうとしないのだから。

〜中略〜

差別感情を扱う際に最も大切な要件は「自己批判精神」であるように思う。いかなる優れた理論も実践も、もしそれが自己批判精神の欠如したものであれば、無条件に自分を正しいとするものであれば、さしあたり顔を背けていいであろう。
とくに、現代に生きるわれわれは差別のない理想的状態の実現を急ぐあまりに、強引に敵を押さえつけるという批判性的な態度をとってしまいがちである。

〜中略〜

自分の限られた視点・限られた材料・限られた価値観から「客観的結論」を導くという「仮象」に陥る危険があるということである。それを避けるために必要な要件は、パスカルの言う「繊細な精神」ではないだろうか?いかなる議論も人間のあり方を丹念に辿っていく態度に基づかねばならない。大鉈をふるって切り捨てる議論、一方的に切りつける議論は、いかにそれが説得力のあるように見えても、希望をもたせるように見えても、論理的には「正しく」見えようとも、取るに足らない。』











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# by a-mh-project | 2014-09-23 08:54